842-父親が死んだ

父親が死んだ。

いや正確には死んでいた。
軽く一ヶ月は経過していると女性の刑事が電話で伝えてきた。


 

最期に顔を見たのはいつだろう。半年は軽く見てない。
最期に声を聴いたのはいつだろう。たしか一ヶ月前だ。

 二年前の年末、自転車ですっ転んで頭蓋骨を骨折して意識不明
で病院に担ぎ込まれ入院した時の治療費を息子の僕に立て替えさ
せたことを悔やんでいた。

 気にするなと僕が言うと、借りた金は返すからと律儀な声を出
した。口だけでなくそのあと10万円だけ振り込んで来た。


 それにしても周囲の予想を裏切り、なんの麻痺もなく呆気なく
退院し復帰した。
まさか右の脳梁が壊滅的に被害を受けた男とは思えない。医者嫌
いで薬嫌い、退院後二度と病院の門をくぐることはなかった。
本人はモノ覚えが悪くなったと言って徹底してメモ魔になった。


 自宅で酒を飲んだあと、たぶん脳梗塞でバッタリ死んだのだろ
う。男の一人暮らしで発見が遅れた。近所の人も友人も福島へボ
ランティアでも行ってるのだろうと思っていたらしい。半分ゴミ
屋敷化した部屋の掃除をしていると、福島の地図がでてきた。親
父の手帳には震災を憂う言葉がびっしりと書き込まれていた。結
構本気でボランティアに行く気だったのではと思う。
ただあるページをめくると『佐々木 希 かわいい』とあって、後
々残された家族が見ることを想定してなかったなと可笑しくなっ
た。


 僕が十歳の時に離婚をして三十年。親父らしいことをしてくれ
た記憶はない。
孫の顔でも見においでよと声をかけると「正直どんな顔をしてい
いかわかんないんだよ」と照れた。正直親子という関係ではな
かった。でも親父の中に自分の血を感じる。
血とはホントに濃いんだ。

 四回結婚して四回離婚した親父は、誉められた人生ではないか
も知れない。
ただ、わがままに自由に自分の哲学で生きた男だ。僕の何倍も好
き嫌いがはっきりしていて、還暦を過ぎても迎合や妥協が大嫌い
でそれまでの関係をぶっ壊してしまう男だった。きっとバランス
の悪い人で、たぶんに破滅指向。若い時は職を転々としていた。
その反面超人的な集中力で技術を身につける。写真にゴルフに歌
にギターに陶芸に建築まで、数々の賞に輝いた。本当にマルチな
職人だった。


 しかし人が死ぬとは呆気ない。


 部屋を掃除していても、故人にとって価値のあったであろう収
集された物品は、僕にとってはゴミだ。だから捨てる。90リッ
トルの業務用ポリ袋が40袋にさまざまな家具。よくこれだけモ
ノがあると関心する。

 歳をとるとモノを捨てれなくなる。いまから捨てる練習をして
捨てる習慣を身につけようと思う。


 実の父親が呆気なく死んだ。
 入院だの介護だの、なんの手も煩わせずに逝った。


 人と人が関係し生きるということは迷惑を掛け合うことだろう。
 程度問題ではあるけれど、もう少し面倒だなぁ迷惑な親父め!
と恨み節のひとつも言いたかった。不謹慎な悩みだろうか。


 死ぬ前に海外にでも男二人でゆっくり撮影に行きたかった。
 いやいや近所の居酒屋で酒を片手に、混迷中の政治について民
主党がなんだ自民はなんだと話に花を咲かせたかったなぁ。


 そんな後悔がほんの少しある。


 ありがとう。

  2011年07月07日   岡崎 太郎